インカレサークル古武術部

心と体の護身術〜自分と大切な人を守る技術〜

普遍的な個人差

  • 板山

毎年この時期になると、「この一年でどんな変化があったかな」と振り返ります。

成長したところや、もっとこうした方が良さそうなところ、一年前は何を考えていたっけなどの総決算です。

それで思ったのですが、今年は個人差についての理解が進んだ気がします。

コロナ前までの僕は、AくんもBさんも同じ人間でしょという立場で、それぞれの抱える事情や個性に興味がありませんでした。

それは自分も含めての話で、あらゆる法則は個人を超えて普遍的に通用すると考えていました。

だから例えば、「適切な睡眠時間」「体に良い食べ物」「病気に対する治療法」「適正体重」「オシャレな服装」「人生を豊かにする遊び」など、誰にでも通用する正解があると思っていました。

個人差はあるけれど、極めて小さいと。

そこから演繹的に導かれるのは、例えば「食べ物の好き嫌いは少ない方が良い」「自分の体調の変化よりも、正しい生活習慣を送れているかの方が大切」といった価値観です。

すると、「トマトは体に良いものだから、気持ち悪くなっても食べなければ!」みたいなことになりますが、もしもアレルギーだったら大変です。

アレルギーではなくても、体質的にその食材を分解しやすいとかしにくいとかがあります。

これは体調や寿命にまで影響する可能性がありますから、軽視して良いものではありません。

コロナ禍を機に人間というものについて考えていたのですが、この一年でようやくその個人差に思い至りました。

色々な考え方がありますが、例えば自分を卑下するような事ばかり言う人がいたとします。

「もっとポジティブになろうよ!」と言いたくなりますが、その人はネガティブな言葉を口に出す事で、なんとか生きているのかもしれません。

長期的には確かにポジティブに変えていく方が良いかもしれませんが、少なくともその瞬間はネガティブが必要なのかもしれません。

ならば、とりあえず言わせておくのも手です。

また、体に良い食事なんてありません。

食べ物ではなく、人間側の問題だからです。

その人がその時に必要としている食材を摂る必要があります。

同様に、怖いウイルスなんてものもありません。
これも人間側の問題です。

でも逆に、個人を主体にして考えると、体に良い食べ物も怖いウイルスも存在します。

今朝食べたのがブロッコリーだったかトマトだったかで体調が変わり、その日のテストの点数が60点か80点かが決まる事だってあるかもしれません。

そういった複雑に絡み合った個人の事情を無視せず、一律に「これが正しい」という固定観念にとらわれずに丁寧に対応することが大切だと思いました。

そしてこれは、抽象度を下げる営みです。

個別具体的な事情を考えるということは、できるだけ小さな差異を尊重するということですから、「トマトもブロッコリーも野菜だから一緒だよね」ではいけません。

どんどん抽象度を落として、細部までこだわっていきます。

すると、新たな問題が生まれます。

それは、細かいことにとらわれて、身動きができなくなるというものです。

「この食材をこういう調理方法で、このくらいの量を食べないといけない」とか、「怪我した右足を徹底的に治せるように、一歩も歩かないで済む快適な部屋に住もう」みたいなことになります。

ここでもう一度、抽象度を上げる必要が出てきます。

そうすると大抵、「なるべく不自然なことをしない」とか「気持ちよく動く」といった解が見つかります。

これが大切で、一度抽象度を落としてから手に入れた答えは役に立ちます。

なぜならその答えは、より抽象度が低い部分も包括しているからです。

ちゃんと、個体差にも対応できる答えです。

個体差に対応できない答えは、仮に抽象度が高かったとしても役に立ちません。

武術で「動けば即、技になる」というのは、その達人の体の抽象度が高いからです。

そしてそれは、しっかりと抽象度の低い部分も包括した高さです。

素人が勝手に動くのとはわけが違います。

「ウイルスが来た!」

「マスクだ!ワクチンだ!3密を避けろ!手洗いうがい、消毒だ!」というのは、あまりにも無邪気な議論です。

一見正しいかもしれませんが、抽象度の低い部分が包括されていません。

つまり、誰も健康になってないし、僕らの日常は未だに戻ってきません。

個別具体的なところでよく考えて、こだわって、例えばマスクをすると頭痛になる人とかの存在をしっかり認識します。

その上で、一気に解決策を作らなくて良いので、どうするべきかを考え続けます。

すると結局、何もしないのが正解だと気が付きます。

普通に生きていけばいいんです。

1ヶ月も考えれば自然と抽象度も上がって、似たような答えに辿り着くと思います。

でも2年半経っても抽象度が上がる気配が無いのは、ちゃんと抽象度を下げていないからではないでしょうか?

わかりやすいキャッチフレーズを聞いたら、抽象度を下げて考え続ける必要があります。

あとは、その人の持つゴールに従って、自然な形でゲシュタルトが形成されることでしょう。

なんだかややこしい話になりましたが、結論は単純です。

僕はこの一年で個人差に目を向けられるようになりましたというご報告です(笑)。

「健康的な生活をしているのにお腹が痛い!」とイライラするのは、個人差を理解していないからです。

「お腹が痛い。もしかしてさっき飲んだ牛乳が合ってないのかも。今日は早めに休もう」というのが、個人差を理解した上で抽象度を上げた場合です。

ちなみに、「お腹が痛い。牛乳が合わない体質なのか?遺伝子検査をして、それをしっかり解読できるお医者さんを見つけて、適切なサプリを探して、体質に合った仕事に就かなければ!」というのは、抽象度を上げられなかったパターンです(笑)。

このパターンは、詐欺とかビジネスのカモにされやすいので注意が必要です。

情報を発見するのは大切ですが、情報に縛られては本末転倒です。

健康のために生きるのではなく、生きるための健康ですから。

この、抽象度を下げてから上げた後の世界の見え方というのは、ある意味特殊な意識状態なのかもしれません。

あまりにも長くなったので、ちょっと続きを明日書いてみようかなと思います!

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